まだ見ぬその先へ

By 10月 29, 2017 メッセージノート
まだ見ぬその先へ

まだ見ぬその先へ

マタイ 14:22−33 ALIVE訳
俺は後から追いかける・・・」イエスはそう仲間たちに言うと、彼らを先に小舟で湖の反対側に向かわせた。そこに残ったイエスは、周りにいた人にも、家へ帰るように伝えた。(23)みんなにサヨナラすると1人で祈るために、丘に登った。時刻は遅く、ここにいるのはイエスのみ・・・(24)この頃になると、仲間を乗せた小舟は岸から大分離れた場所まできていた。湖上にいた一行は、向かい風にあおられ大波と闘っていた。(25)午前3時から6時ごろのこと――小舟の上にいる仲間たちの前に、イエスが現れた。ん?ちょっと待て、水の上を歩いているではないか!!!(26)「お、おい・・・」「ん?」「ヒ、ヒィ〰〰〰〰〰〰〰〰!!!」目ん玉が飛び出るほど驚いたイエスの一味は湖の上に幽霊がいるのだと思った。(27)「おいおい、恐がるな!俺だよ、俺!」イエスが仲間たちに声を掛けた。(28) 「せ、先生!もし本当にそうなら、お、俺に“水の上を歩いてここまで来い”と言ってくれえ!!!」そう言ったのは岩のペテロ。(29)「来い!ペテロ!!!」それを聞くと、船べりから一歩を踏み出し、水の上を歩いてイエスのもとへ向かった。(30)(イエス・・・ん?)「!」水面を歩く岩のペテロは押し寄せる波と吹き荒れる風に目を向けてしまった。その途端・・・心によぎる、不安。水に沈むんじゃないかという疑いに襲われた。「先生!た、たすけてぇ〰〰」(31)叫ぶペテロを掴むと、「なぜ疑った?まだ信頼できないのか?」(32)小舟に乗り込んだ途端・・・ピタッ――吹き荒れていた嵐がうそのように止んだ。(33)「やっぱり、イエス、あなたは神の子だ!!!」乗っていたイエスの仲間たちは船上でイエスを讃え、口々に言った。

信仰とは

ヘブル11:1 ALIVE訳
信仰とは、願い事が必ずかなえられるという、不動の確信のことだ。また、どうやって起こるかわからない行く手にも、望みどおりのことが必ず待ち受けていると信じて、疑わないことである。

神のことばによる

ローマ10:17 ALIVE訳
信仰は、キリストについてのことばに耳を傾けることから始まるのです。

マタイ4:4 ALIVE訳
“人は飯だけでは生きていけない。神の与える全てのことばによって生きる”と聖書にある)――【聖書:申命記8:3より引用】

へブル 11:11 ALIVE訳
アブラハムの妻サラの信仰も、すばらしいものだった。サラはすでに年老いていたにもかかわらず、母親になることができた。神の約束は必ず実現すると、堅く信じていたからだ。

ことばを実行する

ヤコブ 1:22-24 ALIVE訳
また、聞くだけでなく、神の教えに従うことも、忘れてはならない。聞くだけ聞いて、動かないなら意味がない。(23)聞いて、行動に移さない人は、まるで鏡に映る自分を見た(24)後に、自分がどれだけひどい格好をしていたかすっかり忘れて何もしない人のようだ。

マラキ3:10 JCB
“収入の十分の一をすべて倉に携えて来なさい。そうすれば、わたしの神殿には食べ物が十分あるようになる。あなたがたが十分の一をささげれば、 わたしはあなたがたのために天の窓を開いて、 受け止めることができないほどの 祝福をあふれるばかりに注ごう。 試してみなさい。わたしは、そのことを証明しよう。”

イエスから目を離さない!

へブル 12:1-2 ALIVE訳
このように、数えきれないほどの信仰の勇者が、競技場の正面観覧席で、私たちの競技を見つめているのだ。だから、スピードを落とさせたり、うしろへ引き戻そうとする力に目を光らせろ。 特に、足にうるさくまとわりついて、つまずかせようとする過ちをふり捨てるんだ。そして、神の用意された特別のコースを、根気強く走り抜こうではないか!(2)私たちの指導者であり教師であるイエスから、目を離さないように。 イエスは十字架の死のあとの喜びを知って、恥をもいとわず十字架にかかった。そして今は、神の王座の隣、名誉ある座についているのだ。

ヤコブ 1:6-8 JCB
ただ、その場合、神は必ず答えてくださると確信して願い求めなさい。疑う人の心は、風に波立つ水面のように不安定なものです。そんな疑いの心では、主に何を期待してもむだです。

マタイ17:20
イエスはお答えになりました。「信仰が足りないからです。もしあなたがたに小さなからし種ほどの信仰があったら、この山に向かって『動け』と言えば、そのとおり山は動くのです。何でもできないことはありません。