でっか〜い!俺らの神

でっか〜い!俺らの神

ローマ 5:15 JCB

人間の罪と神の赦しとの間には、なんと大きな違いがあることでしょう。アダム一人の罪によって多くの人に死がもたらされました。しかし、イエス・キリスト一人によって、多くの人に赦しがもたらされたのです。

 

罪とは

創世記 2:15-17 新改訳

神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。(16)神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。(17)しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」

 

放蕩息子の話

ルカ 15:11-12 JCB

イエスはもっとよく説明しようと、また別のたとえも話されました。「ある人に息子が二人いました。(12)ある日、弟のほうが出し抜けに、『お父さん。あなたが亡くなってからでなく、今すぐ財産の分け前がほしいんです』と言いだしたのです。それで父親は、二人にそれぞれ財産を分けてやりました。

ルカ 15:13-24 JCB

もらう物をもらうと、何日もたたないうちに、弟は荷物をまとめ、遠い国に旅立ちました。そこで放蕩に明け暮れ、財産を使い果たしてしまいました。(14)一文なしになった時、その国に大ききんが起こり、食べる物にも事欠くようになりました。 (15)それで彼は、その国のある人のもとで、畑で豚を飼う仕事をもらいました。(16)あまりのひもじさに、豚のえさのいなご豆さえ食べたいほどでしたが、だれも食べる物をくれません。(17)こんな毎日を送るうち、彼もやっと目が覚めました。『お父さんの家なら雇い人にだって、あり余るほど食べ物があるだろうに。なのに自分は、なんてみじめなんだ。こんな所で飢え死にしかけている。(18)そうだ、家に帰ろう。帰って、お父さんに頼もう。「お父さん。すみませんでした。神様にもお父さんにも、罪を犯してしまいました。 (19)もう息子と呼ばれる資格はありません。どうか、雇い人として使ってください。」』(20)決心がつくと、彼は父親のもとに帰って行きました。ところが、家まではまだ遠く離れていたというのに、父親は息子の姿をいち早く見つけたのです。『あれが帰って来た。かわいそうに、あんなみすぼらしいなりで。』こう思うと、じっと待ってなどいられません。走り寄って抱きしめ、口づけしました。(21)『お父さん。すみませんでした。ぼくは、神様にもお父さんにも、罪を犯してしまいました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』 (22)ところが父親は、使用人たちにこう言いつけたのです。『さあ、何をぼやぼやしている。一番良い服を出して、この子に着せてやりなさい。宝石のついた指輪も、くつもだ。(23)それから肥えた子牛を料理して、盛大な祝宴の用意をしなさい。(24)死んだものとあきらめていた息子が生き返り、行方の知れなかった息子が帰って来たのだから。』こうして祝宴が始まりました。

 

父親である私たちの神は全てを受け入れてくれる

1 テサロニケ 5:10 JCB
主イエス・キリストの死は、私たちを永遠に主と共に生かすためでした。

ヨハネの福音書 3:16-17 JCB
「実に神は、ひとり子をさえ惜しまず与えるほどに、この世界を愛してくださいました。それは、神の御子を信じる者が、だれ一人滅びず、永遠のいのちを得るためです。 神がご自分の御子を世にお遣わしになったのは、世をさばくためではなく、世を救うためです。」